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東京地方裁判所 昭和41年(合わ)170号 判決 1966年10月15日

被告人 加賀谷捷次 田村茂夫

主文

被告人加賀谷捷次を懲役一年二月に、

被告人田村茂夫を懲役八月に各処する。

被告人加賀谷捷次に対し、未決勾留日数中百日を右刑に算入する。

被告人田村茂夫に対し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、その期間中同被告人を保護観察に付する。

本件公訴事実中、被告人加賀谷捷次のB子に対する強姦未遂の点および被告人田村茂夫のA子に対する強姦致傷の点については、被告人らはそれぞれ無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人らは、いずれも株式会社稲毛建設に勤め、昭和四一年五月二日ごろからは、東京都大島町湯場の工事現場で、被告人加賀谷(以下、単に加賀谷ともいう。)は主として炊事係、被告人田村(以下、単に田村ともいう。)は自動車運転者兼雑役として働いていたものであるところ、同月一一日午後一時すぎころ、田村が運転し、加賀谷を助手席に乗せた小型貨物自動車で、右湯場から水汲みに大島公園に向う途中、大島町泉津字原野無番地付近の山道にさしかかつた際、東京から遊びに来ていた看護婦A子(当時二三才)、同B子(当時二三才)の両名が連れだつて進行方向に歩いているのをみて声をかけ、大島公園まで乗せて行く約束をして自動車の後部荷台に同乗させたが、同日午後一時四〇分ごろ、そこから約三キロメートルくらい先の公園へ行く道とは逆方向の――前記原野無番地付近の山道(都道二百八号線)で、突然停車させたうえ、同女らを下車させた(以下、この場所を第一現場という。)。

そして、

一、被告人加賀谷は、その場で、A子に付きまとうようにしながら、「丘へ行つて話をしよう。」などと誘いのことばをかけ、その場のふんい気からいたずらされるのではないかと強い不安をおぼえた同女が、「そんなつもりで来たのではありません。ひきようです。持つているお金は全部おいて行きますから。」などといい、あるいは、その場を逃げ出して地面にしやがみ込み、加賀谷を近づけないよう手で振り払うような態度を示すや、腹を立て、同女の顔面を平手で殴打し、さらに、約三百メートル離れた地点(以下、第二現場という。)で、再び、泣き叫ぶ同女の顔面を右手で殴打し、同女に対し、加療約一週間を要する左頬部打撲傷の傷害を負わせ

二、被告人田村は、第二現場付近において、B子がA子と同様の不安を感じ、被告人らを近づけまいとしてしやがみ込んでいるのをみるや、にわかにその体に触りたくなり、同女のわきの下に手を入れて体を持ち上げようとし、さらに、同女の股間を、ズボンの上から、右手で強く押え、もつて同女に対し暴行を加え

たものである。

(証拠の標目)<省略>

(一部無罪の理由および弁護人の主張に対する判断)

本件公訴事実は、「被告人両名は、共謀のうえ、昭和四一年五月一一日午後一時四〇分ごろ、東京都大島町泉津字原野無番地付近の山道において、たまたま通りかかつたB子(当二三年)、A子(当二三年)を小型貨物自動車に同乗させて運転走行中、同女らをしいて姦淫しようと企て、同女らに対し、下車を要求し、危険を察知して逃げ出した同女らを右自動車で約二百メートル追跡したうえ、手拳で右A子の顔面を殴打し、あるいは、右B子の股間等に手を差し入れる等の暴行を加え、その反抗を抑圧し、強いて同女らを姦淫しようとしたところ、同女らが激しく抵抗したためその目的を遂げなかつたが、その際、右暴行により右木村に対し、加療約一週間を要する左頬部打撲傷の傷害を負わせたものである。」というのである。

審理の結果によると、被告人らは、公判では、共謀の事実および強姦の犯意を強く否定しているだけではなく、加賀谷は、第一現場で停車させたのは、その少し手前で道に迷つたのに気づいたからであり、ここでは、A子と口をきいたこともなければ、殴つたこともない、第二現場では霧が深く被害者らがけがでもすると危いと思い、そのあとを追つて連れもどしたのに、A子が失礼なことをいうので腹を立て、その肩を突いただけで殴つてはいない、突いた手がA子の頬にあたつたのかも知れないなどと弁明し、田村は、地面がぬれていたので、鈴木の服がよごれないようにと思つて同女のわきの下に手を入れ抱き起こしたにすぎないなどと弁明し、すべてが善意と親切心から出たもののように主張するが、被害者らの供述等と対比し、被告人らの弁明をそのまま信用することは、とうていできない。しかし、被告人らの供述態度等に徴すると、被告人らの弁明をすべて「弁明のための弁明」として一蹴するのは相当ではなく、被告人らの内心の動きに関する各供述等の中には、単に当時の気持を誇張し、あるいは、その一部を強調しているような面もないとはいえないと思われる。

これに対し、被害者らはいずれもしつかりしており、その認識、これについての供述はおおむね正確であると考えられる。しかし、当時の不安、恐怖を反映し、事態の推移、被告人らの言動について、若干客観性を欠いている点もないとはいいがたい。

以上の諸点を考慮せず、すべてを被告人らに不利に解釈し、被告人らに不利な情況だけを集めるならば、本件について被告人らを有罪と認めることも、あるいは可能であるかも知れない。また、かように認定してもそれほどおかしくないほど、被告人らの言動には軽率、不謹慎、乱暴な点が多い。この意味で、被告人らには非難されるべき点がすくなくなく、公訴事実は相当の嫌疑を免かれないといえる。しかし、次に述べる諸理由により、裁判所としては、共謀による強姦致傷罪、強姦未遂罪の各成立について、決定的な心証をうることができない。

一、まず、事前(自動車を停車させる前)の共謀についての証拠としては、田村の検察官に対する供述調書があるだけである。

(1)  しかし、この点については、加賀谷は警察以来一貫して否認し、公判で一部不利な事実を承認している田村も極力争つていること、また、田村の司法警察員に対する供述調書には、被害者らの供述以上に事態を誇張した部分が存すること、田村の司法警察員に対する各調書間および同人の司法警察員調書と検察官調書との関係、田村のこれについての弁明等からみて、田村の検察官調書の記載をそのまま信用することは困難である。

(2)  加賀谷と田村との間に、かりに、田村の検察官調書記載どおりの、「やりたいな」「そうやな」という簡単な応答があつたとしても、それだけで、直ちに強姦の共謀があつたと断ずるには、ちゆうちよするものがある。なぜなら、右の応答は、特殊のふんい気の中で、特別な意味をこめてされたとは解しがたく、その中には、姦淫したいという両者に共通の願望はうかがわれるが、暴行または脅迫を用いてでも、あくまで姦淫しようという意思の合致までは、必ずしも看取されないからである。

むしろ、被害者らを無理に同乗させた形跡がないこと、公判で田村が、その際被害者らをそれほど堅い女とは思わなかつたと述べていること、加賀谷が、第一現場で木村に対し、「丘へ行つて話をしよう」と誘いのことばをかけていること、加賀谷が、これまで多くの女性から好意を示されたことがあるなどと述べ、女性に対し自信ありげな態度を示していること、被告人らが、いずれも前歴ある身として、その行動に慎重を期していたと弁明しており、この面からの心理的抑制が若干あつたと思われること等の情況からみると、被告人らの真意は、できれば被害者らを誘惑して姦淫したい、あるいは、格別の抵抗がなければ姦淫したいという程度のものであつたとの疑いが濃い。

なお、前記のような応答がなかつたとすれば、被告人らの停車前の気持は、後記の言動等に徴しても、せいぜいの右の程度、あるいはもつと弱い、漠然としたもの(たとえば、若い女とふざけたい、同女らに軽いいたずらをしたいという程度のもの)であつたと思われる。

要するに、被告人らの間に強姦の事前の共謀があつたとすることは、証拠上、きわめて困難であるといわなければならない。

二、次に、被告人らの行為については、前記各証拠を総合すると、

第一現場において、

(1)  被告人らが、大島公園とは違う方向に来たことに気づきながら、直ちに引き返そうとせず、第一現場にあたる寂しい山中で自動車を止めたうえ、田村が、被害者らに対し、こわい顔をして「降りよ。荷物はそのままでよい。」といつたこと、

(2)  加賀谷がA子につきまとうようにしながら、「丘へ行つて話をしよう。」といつたこと、

(3)  これに対し、A子は、「そんなつもりで来たのではありません。ひきようです。持つてるお金は全部おいていきますから。」といい、加賀谷を近づけないように抵抗したこと、

(4)  加賀谷がA子の左頬を平手で殴つたこと、

(5)  被害者らが身の危険を感じて逃走したこと、

(6)  被害者らが逃げ去つたあと、加賀谷が「追いかけよう。」といつたのに対し、田村は「やめとこう。逃げるものは放つておけ。」といつたところ、さらに、加賀谷が「追いかけよう。こんな霧だから危い。」といつたことから、田村も自動車を発進させたこと、

さらに、第二現場において、

(7)  A子が、加賀谷に対し、重ねて「ひきようです。お金は全部あげますから。」といつたこと、

(8)  加賀谷がA子の頬を右手で殴つたこと、

(9)  被害者らが、終始泣き叫び、被告人らを近づけないように抵抗したこと、

(10)  田村が、しやがみ込んでいるB子のわきの下に手を入れ、持ち上げようとし、その股間を、ズボンの上から、強く押えたこと、

(11)  加賀谷が、最後に、A子に対し、自分の調理士手帳を見せ、怪しいものではないと弁明していること

は、最少限度、まちがいないと思われる。

右以外の細かい点については、証人相互、証人と被告人、被告人相互の間にかなりのくい違いがあり、各供述者の当時の立場、心理、供述の態度、経過等に徴し、いずれとも断定しがたい部分が多い。

以上明らかにした諸情況を総合すると、判示のとおり、被害者らが、第一現場以後、被告人らにいたずらされるのではないかという強い不安をおぼえたことは疑いなく、同女らがかような不安をおぼえたのも、当時の情況上、被害者らの立場としては当然であつたと思われる。しかし、被害者らと被告人らとの間には、-それぞれの生育歴、生活環境、職業、性等の相違を背景に-当時の各情況認識や心理状態にかなり大きなズレがあつたように思われる。実際、被告人らの前後若干矛盾するところのある一連の言動の中には、被告人らが、被害者らの意外な態度にとまどい、あわて、あるいは腹を立てたためにされたようにみえる形跡もうかがわれないわけではない。

三、要するに、被告人らが、はたして、強姦を共謀(現場における共謀を含む。)し、あくまでこれを実行しようとしたものであるかどうかについては、疑問が残らざるを得ないが、そのことは、さらに、

(1)  被告人らの言動の中に、それ自体独立して明らかに強姦行為の着手と認められるような、あるいは、強姦意思の存在を推認させるような緊迫したものがほとんど認められないこと(わずかに、前記二の(10)で述べた、田村がB子の股間を強く押えた点が問題となりうるが、回数は一回にすぎないし、前後の情況からみて、強姦するためにしたものとはとうてい認められない。田村の昭和四一年五月一五日付司法警察員調書にも、「私がB子にいたずらしたのは、女の体にさわつてやろうという気持だけです。」との記載があるとおりである。)つまり、被告人らの各行為は、単に誘惑しようとするためであつたか、わいせつ行為をしようとする意図に出たものであつたか、それとも強姦を目的として行なわれたものであつたか、いまだ客観的には、いずれとも判断しがたい段階にあつたとみられること

(2)  第一、第二いずれの現場においても、もし、被告人らに真に強姦の共謀やその意思があつたのならば、被害者らに対し、もつと直接的な、あるいは、もつと執よう、わいせつな行動をとる余地が十分あつたし、そのほうが被告人らの経歴、年令、現場の情況等からみて、むしろ自然であつたと思われること

(3)  被害者らの毅然とした態度、その激しい抵抗が被告人らに中途半端な行動をとらせた一因と思われるが、そのすべてであるとは断じがたいこと

等の諸情況によつて裏づけられると思われる。

したがつて、加賀谷のB子に対する強姦未遂の点および田村のA子に対する強姦致傷の点については、加賀谷と田村との間に、前にみたとおり、犯意、共謀ないしは共同実行の事実を認めることができず、結局、犯罪の証明がないことになる(なお、加賀谷のA子に対する傷害は、同女に対する強姦致傷、田村のB子に対する暴行は、同女に対する強姦未遂の各範囲内の事実と認められるので、いずれも訴因の変更を要しないと解した。)。

なお、弁護人らは、加賀谷のA子に対する傷害は、肩を突こうとした勢いが余つてけがをさせたもので過失によるものであるし、田村のB子に対する行為は何らの罪にあたらないと主張するが、加賀谷がA子を殴つたことは、証人A子、同B子、被告人田村の当公判廷における各供述に照らして、疑問の余地なく、また、田村が、不安におののき、被告人らを近づけないようにしているB子に対し、その情況を認識しながら、同女のわきの下に手を入れて持ち上げようとしたり(この点は、田村の自認するところである。)、同女の股間を強く押えたり(証人B子の当公判廷における供述)している以上、これらの行為が、身体に対する有形力の行使として、暴行罪にあたることは明白であるから、弁護人らの右主張は、いずれも理由がない。

(累犯となる前科)

被告人加賀谷は、昭和三九年五月二五日東京地方裁判所八王子支部で自殺関与罪により懲役二年に処せられ(昭和四〇年一月五日確定)、昭和四一年三月一九日右刑の執行を受け終つたもので、右事実は、同被告人の当公判廷における供述および前科調書によつてこれを認める。

(法令の適用)

法律に照らすと、被告人加賀谷の判示所為は、刑法第二百四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に該当するところ、所定刑中懲役刑を選択し、前記の前科があるので、刑法第五十六条第一項、第五十七条により再犯の加重をした刑期の範囲内で、後に述べる事情を考慮して、同被告人を懲役一年二月に処し、同法第二十一条を適用して、未決勾留日数中百日を右の刑に算入し、

被告人田村の判示所為は、刑法第二百八条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で、同被告人を懲役八月に処し、なお、同被告人は、昭和四一年四月二七日大阪簡易裁判所で窃盗罪により懲役十月に処せられ、三年間その刑の執行を猶予されたので、本件の罪はその猶予の期間内に犯したものであるが、後に述べるとおり、情状特に憫諒すべきものがあるから、刑法第二十五条第二項本文、第二十五条の二第一項後段を適用して、この裁判確定の日から三年間右の刑の執行を猶予し、その期間中保護観察に付し、訴訟費用については、刑事訴訟法第百八十一条第一項ただし書にのつとり、被告人らに負担させないこととする。

なお、本件公訴事実中主文第四項掲記の点については、先に述べたとおり、犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法第三百三十六条により、被告人らに対し、無罪の言渡をする。

(量刑の事情)

本件は、前に述べたとおり、起訴にかかる強姦致傷、強姦未遂各罪の成立についても相当の嫌疑を免れない、悪質な事案であり、被害者らの受けた衝撃には想像をこえるものがあると思われる。

特に、加賀谷は、さびしい所へ連れられて来て不安におののいている被害者A子を、一度ならず、二度までも殴りつけ、同女を負傷させていること、被害者らはいずれも清純な、まじめな未婚の女性であつて、同女らには、被告人らの邪心をかりたてるようなすきなど全然なかつたこと、本件は、加賀谷が出所後間もなく犯したものであることなどを考え合わせると、加賀谷の社会的危険性には軽視しがたいものがあり、同人の刑責は決して軽いとはいえない。したがつて、本件を普通の傷害事件と同視するのは相当でなく、加賀谷に有利な諸事情、たとえば、本件が大事に至らず、傷害の程度も軽微にとどまつたこと、計画的犯行でなかつたこと、年もまだ若いこと等を考慮に入れても、加賀谷をしてその罪の償いをさせ、その性格の矯正に努めさせるには懲役一年二月程度の刑はやむを得ないと思われる。

田村については、判示のような情況のもとで、不安におののいている、か弱い女性に対し、ふざけるなどとは不謹慎きわまる行為であること、しかも、本件は執行猶予中に犯されたものであること等を考えると、犯情は必ずしもよくないが、暴行の程度も軽微であつたこと、終始加賀谷ほど積極的な態度をとらず、同人の行為を抑制しようとした形跡さえあること、本件も単なる出来心による犯行と思われること、四か月余の未決勾留を通じて事の重大性に目覚め、改悛の情顕著なものがあること等、田村に有利な事情は少なくない。そこで、裁判所としては、特にこれらの事情を酌み、田村に対しては、懲役八月に処したうえ、三年間右刑の執行を猶予し、その期間保護観察に付することとした。

そこで、主文のとおり判決する。

(裁判官 横川敏雄 横田安弘 花尻尚)

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